視覚障害者情報提供施設がお送りする読書会『よむ・きく・はなす Vol.3』開催レポート 視覚障害者情報提供施設がお送りする読書会『よむ・きく・はなす』は、本を通して視覚障害者と晴眼者が出会う機会を創ることを目的にはじめた読書会です。 本のこと、視覚障害のこと、会って話して、お互いを幾分か身近に思って貰えたら嬉しいです。そして、この会をきっかけに、お互い幾分か暮らしやすくなって貰えたら、さらに嬉しいです。 視覚障害者情報提供施設として、そういった環境づくりに寄与していくことは、とても大切なことだと考えています。 さて、『よむ・きく・はなす』の三回目は、温又柔著「『国語』から旅立って」新曜社刊を課題作に、11月28日(日)名古屋ライトハウス情報文化センター集会室にて開催致しました。 開催3回目にして、はじめての満員御礼となり、『よむ・きく・はなす』という場所が、少しずつ浸透してきているように感じられ、とても嬉しく思っています。ありがとうございます。 今回も過去2回に引き続き、2つのグループに分かれていただきました。 「発言の際はその都度、名乗っていただくこと」、「相槌は声を出していただくこと」2点を視覚障害者と話す際のポイントとしてお伝えしスタートです。 それぞれに、視覚障害当事者の方2名、晴眼の方5名、進行役に運営から1名の計8名にくわえ、取材でご参加いただいた方1名と運営から1名をフリーと致しました。 (※本来、参加者が視覚障害当事者であるか晴眼者であるかの表記は必要ないことなのですが、本会は、それぞれが出会うきっかけとなる場所であることを趣旨のひとつとしていることから表記をしています。) また、開催中の様子を撮影し忘れてしまいましたことを冒頭お詫び申し上げます。ごめんなさい。それだけ対話が楽しかったとご理解いただけますと幸いです・・・。 さて。今回はどちらのグループも、課題図書をきっかけに視覚障害者理解の話へ広がりを見せます。国語、アイデンティティ、教育など、さまざまな意見が交わされていました。いくつかご紹介します。 ・「本書に『日本人がなぜいるの?』と台湾人の女の子が問うシーンがありますが、見ただけで、日本人だとなぜわかるのですか?わかるものなのですか?」視覚障害当事者の方が投げかけます。 「雰囲気とかしぐさとか服とか。・・なんとなくわかりますよね」、「最近はファッションとかメイクとか近づいているので、若い子は見た目ではちょっとわからなくなってきているかも」などの反応があると、 「小学生が、相手の見た目でわかる、敏感にならざるを得ないほど、国の断絶が深いのではないでしょうか・・・・」と。 事後に思い至ったのですが、このやり取りが、この日を象徴するものだったのだなぁ感じました。 続きます。 ・日韓ワールドカップのシーンで、温又柔と名乗り話した瞬間に「日本語が上手ね」と言われたり、上海に語学留学したときには逆に、「中国人にしては君の中国語は下手だなぁ」と言われたり、 名乗った時点で、その相手がイメージするその属性に「ラベリング」されることは恐ろしい。 ・当事者の方からは、私達に向かって言われる「すごいね」には「目が見えないのに」がついてると感じます、といった意見も。 いずれも「ひとりの人間として愛されたい」のに、と。 続いて、課題作に導かれるように話された、視覚障害当事者のリアルをいくつかご紹介します。 ・子供と出掛けた際に(視認などについて)「お子さんに手伝ってもらってね」と言われることがあるが、「子どもは道具じゃない」と憤りを感じることもある。 ・職場でアシスタントとしてアルバイトを雇ってもらっているが、例えば、自分宛の文書や郵便物を直接私に渡さずアルバイトに渡そうとする。 それは健常者同士のコミュニティーにおいて、それを円滑にするためのコミュニケーションであり、「健常者のためのアルバイト」ではないか。 ・健常者は障害者のことを、障害者は健常者のことをお互いに理解して、いつか「人類みんながガイドヘルパー」の世界が来るといい。 続いては、カギ括弧付きの「国語」にまつわるエトセトラ。 ・「普通」とは何なのかを考える話だと感じた。「普通」とは普段意識していないこと。自分が日本語を話しているという認識はなかった。「国語」はどこの言葉でもない。 ・言葉はコミュニケーションの手段である。相手に伝わらないだけで不安になり恐怖を感じる。様々言語が存在しそのものが多様性の象徴といえる。点字も言語の一つである。 ・あるドキュメンタリー映画の1シーン。カタコトの日本語で話す外国人が不意に自分たちにしかわからない言葉で話す。 その作品の監督の舞台挨拶時、「あの時、彼らが何を話していたかわかりましたか」と尋ねると「スマホの話をしていた」と答えたという。 他愛無い話をしているのだが、周囲と観ている側は何を話しているかわからない。わからないから不安に感じる。だから、言葉を強制したりする。人はほとんど目で見て判断している。 そして目で見えない部分を頭の中で補っているので、ほとんどが思い込みで勘違いをしている。 ・教育の方法にも問題があるのではないか。例えば、ロシアでは言語の成り立ちから教えるが、日本ではすぐに言葉の使い方を教える。 著者が経験してきたことは、日本においての言語(=母国語)に対する意識の薄さに起因しているのではないか。 ・本文中に出てきた、「国語」を英語にするとどうなるか?については、JapaneseでもEnglishでもなくNational languageというのが正しいのでは。その人によって国語は違う。 ・自然を融合したような特徴的な表現を用いる宮沢賢治を思い出した。「国語」とは、同じ言葉だがその人にしか語れないもの。 ・本の帯文『「国語」ってなんだろう。そうした問いを持たずに、大人になったことが少しだけ恥ずかしい。』とあるが、なかなか考えることがない人が大多数ではないか。 今回、この本を通じて「国語」について気がつき、今この場にいる人たちと話し合えただけでもよかった。 ・帯文について2。帯にあるような後ろめたさは感じなかった。むしろ、著者の人生において、国語を獲得するまでの冒険譚のようにも感じられうらやましく思った。 ・この本は普通の話をしているだけで特別なものではない。最初はマイノリティーとマジョリティーを土台にした不遇を書き表したものだと思ったがそうではなく、とても明るく楽しい話と感じた。 などなど。 視覚障害者を取り巻く環境については、どちらのグループでも話題となり、 サピエ図書館、点字ブロック、あしらせ、白杖、リハビリテーションセンター、電子書籍、オーディオブック、音声読み上げシステム、就労支援などについて、ご参加いただいた視覚障害当事者の方々、 音訳ボランティアの方、内容によっては進行役の職員もお答え致しました。 視覚障害者情報提供施設としては、視覚障害者の方やその周辺の福祉環境についてご興味を持っていただけたことは、とても嬉しく思いました。 過去二回の開催レポートでも申し上げておりますが、ひとつの作品について、自分以外の方と話すことによって、より立体的にとらえることが出来る。 今回ご参加いただいた方々も、そのように感じていただけたなら嬉しいです。 今回はご参加いただいた少なからずの方から、チラシに誘われたとおっしゃっていただいたほどに、大変チラシの評判がよかったです。 中には、チラシの第一印象で参加してみたいと思いましたとおっしゃっていただいた方もあり、もとても嬉しかったです。 読書会終了後、ご参加いただいた方々同士が「次回もまたぜひお会いしましょう」という声を掛け合っており、「よむ・きく・はなす」は本好きのコミュニケーションの場としてはもちろん、 当事者と晴眼者のコミュニティーの場としても確立、とまではまだ言えませんが、そういう場所として認知いただきつつある、その端緒にはつけたかなと感じました。 これもご参加いただいた本好きのみなさまのおかげです。ありがとうございます。 「真ん中に本を置いて話すだけ。」みなさまにとっても、ムードは上々、新たな考え、価値観、人との出会いが生まれるよいきっかけにはなっていたのであれば幸いです。 いかがでしょうか。またどこかでご意見をお聞かせください。 今回、取材を兼ねてご参加いただきました、名古屋文化振興事業団発行「なごや文化情報」文芸部門編集委員の黒田杏子さん。誠にありがとうございました。またご参加ください。 さて次回は「よむ・きく・はなすvol.4」。2022年3月26日(土)10:00〜12:00、名古屋ライトハウス情報文化センター2階集会室にて開催致します。 課題本は「もう革命しかないもんね」森元斎著 晶文社刊。全12章中1章以上を読み終えてご参加ください。 開催が近くなりましたら、名古屋ライトハウス情報文化センターホームページやあちこちのSNSなどで発信して参ります。皆様のご参加を心よりお待ち申し上げます! SPECIAL THANKS to on reading(東山公園)、読書喫茶リチル(今池)、名古屋シネマテーク(今池)港まちづくり協議会ポットラックビル(築地口)、 金山ブラジルコーヒー(金山)、TOUTEN BOOKSTORE(金山)、ジャズ喫茶 YURI(久屋大通)、とわでざいん商店(本山)、畑と昭和と音楽酒場はな咲(東別院)、 ライブハウス 得三(今池)、徒然舎(岐阜)、犬山図書館、愛知県図書館(丸の内)、名古屋市立図書館 21施設、名古屋盲学校、岡崎盲学校、名古屋市社協16区、 ガイドネットなごや、総合リハビリテーションセンター視覚支援課、ぐっさん、名古屋市、(順不同) 大変お世話になり、誠にありがとうございました!