地域のご紹介 〜 守山区瀬古

川との共生

 瀬古マザー園のある守山区瀬古は、守山区西部にあり、北には庄内川、南には矢田川が流れている低く平らな土地で、かつては頻繁な洪水により田畑や家屋が被害を受け住民は苦しめられていました。その象徴として、同じく庄内川の治水史で有名な春日井市の「十五の森」伝説に似た人柱伝説が瀬古の地にも伝わっており、十五という地名も残っています。また、数は少なくなりましたが、当時の面影を残す水屋(避難小屋・倉庫)が今でも残されています。


写真:庄内川水分橋から東を望む−八田川(左)が庄内川(右)に流れ込む地点

写真:庄内川を挟んで瀬古マザー園を望む、中央に庄内用水元杁、右は水分橋

写真:石垣の上に築かれた水屋−地元の東春酒造さん所有

 また、瀬古マザー園のかつての住所は「元杁(もといり)」といい、これは、庄内川から堀川への導水や水運のために利用されていた、庄内用水元杁があることによります。ここから堀川へ水を分けて取り込むため、ここに架かる橋を「水分橋」といいます。かつては、信州〜木曽川〜犬山〜木津用水〜堀川〜名古屋の間の水上交通として舟が往来していました。現存する樋門は明治43年に改築されたもので、石造構造で目地(めじ)には人造石が使用されています。全体の長さは30メートル、また、中を舟が通るためトンネルをを高くしてあります。

 なお、ここで取り入れられた水は、すぐに突き当たる矢田川には合流せず、矢田川の下を交差するように地下水路(矢田川伏越)が掘られており、そこを通って堀川へ通じています。明治時代に整備された後は、この地下水路も舟が行き来していました。なお、矢田川に架かる「三階橋」は、この「庄内用水」「矢田川」「陸上交通」の三層になっているところから付けられた名前です。(現在はさらにその下に名鉄小牧線が走っていますから、さながら「四階橋」ですね。さらになんと、今度は道路を立体交差にするとのこと…平成27年に完成予定とか?)


写真:庄内用水元杁樋門−人造石を使って作られた樋門としては名古屋市で唯一現存するもの。当時の産業技術を物語る貴重な建築物であり、平成5年名古屋市の都市景観重要建築物に指定された

写真:水は樋門を抜け堀川へと通じていく−分かりにくいが写真中央には堀川の水流を補うために戦後に掘られた巨大な井戸が残る

写真:短い区間だが、川の東側は桜並木になっており、満開の頃は近隣の目を楽しませてくれている。

交通・歴史

 瀬古は陸上交通としても歴史があり、古くから名古屋城下と中山道の大井宿(岐阜県恵那市)を結ぶ街道が通っていました。現在の国道19号線に相当するこの街道は、尾張藩によって整備され、武士や荷物の通行が義務付けられていた木曽街道(国道41号に相当)に対して、非公式な「善光寺街道」と呼ばれ、庄内川(土岐川)沿いを進み、土地も平坦で距離も短いため、庶民を中心に善光寺や御嶽参り、信州からのお伊勢参りと、よく利用されていました。山田の渡し(矢田川)と勝川の渡し(庄内川)の間にあった瀬古には、旅籠やめし屋、酒屋などがあり賑わっていました。 街道の近くには、高牟神社(瀬古天神)や、鎌倉時代に建てられた石山寺があります。

マザー園の誕生

 かつては一面に広がっていた田園もだんだん少なくなってきて、工場や運送会社、住宅、そしてマザー園が瀬古の地にやってきました。瀬古マザー園が建てられた土地は、当時は小学校の建設が期待されていましたが、いよいよ本格的な少子高齢化社会を迎えようとしていたこともあり、同興紡績の工場があった跡地を名古屋市から土地をお借りして建てられ、平成元年5月、老人福祉施設 瀬古マザー園が開設しました。


写真:マザー園の隣、瀬古公園前には、史跡散策路の案内表示がある

写真:名鉄小牧線の線路跡からマザー園を望む−現在はこの真下に鉄道は走っているが、河川をくぐるため地下深くを通っているためか、列車の通過音はほとんど聞こえない

写真:マザー園屋上から名古屋中心地を望む−天気が良い日はタワーズやミッドランドスクエアが見える。タワーズの足元近く、ビルとビルの間に名古屋城が可愛く見えます。(下に拡大写真)
以前はこのアングルで、矢田川の花火が間近で見られ、利用者と一緒に眺めていたのですが、平成17年から行われなくなってしまってとても残念です。

 ※この地域の歴史や風物にまつわる情報をお待ちしています

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