瀬古マザー園の由来についてsekomather
よく聞かれる質問です。お母さんのようなあたたかい施設を目指してマザーをつけたと想像される方が最も多く、他に、世界的に有名なマザー・テレサからキリスト教との関連を想像される方や、創立記念日が5月12日だから、「母の日」にちなんでつけた「マザー」だと深読みする方もいらっしゃいます。これをお読みの方の中には、ここのURLを見て、マザーは「mather」じゃなくて「mother」だろうと思われる方もみえることでしょう。
答えから言いますと、マザー園の「マザー」は、二十世紀初頭、アメリカ合衆国でニューヨーク・ライトハウスを創設し、盲人のために尽力した「マザー夫人(Mrs. Winifred Mather)」にちなんでつけられました。日本ではあまり馴染みのない方なのでご存知の方は多くないかと思います。ヘレン・ケラーと直接交流があったといえば、時代や背景にピンとくる方もいらっしゃるかもしれません。
マザー夫人は、1905年、妹エディスの協力を得てニューヨークにあった自宅を開放し、ニューヨーク・ライトハウスを開設しました。それまでは慈善の対象でしかなかった盲人に職業を与え、生活の自立を図ることを目的としたその事業はこれまでにはない考えのものでした。同時に、健常者に対しても失明防止と盲人の能力についての啓蒙運動を精力的に行い、全国に広げました。1945年に惜しまれてこの世を去った後、彼女の行ったこの事業は、やがて世界中に広まり、ライトハウスと名がつく施設が世界中に作られました。現在ニューヨーク・ライトハウスは、ライトハウス・インターナショナルとして、今も彼女の「失明者の幸せを願い、幸せのために働こう」という意志を継いで事業を行っています。本国アメリカでは「マザー夫人」よりもライトハウスを開設した当時の結婚前の名前ウィニフレッド・ホルト(Winifred Holt)としての方が通っているようです。
従来は当園のURLやメールアドレスは、お母さんの意味の「mother」と表記しておりましたが、マザー園のホームページのURL変更に伴い、先人への敬意を込めて本来の綴りである「mather」とさせていただきました。
左の写真は、マザー夫人が1907年にヘレン・ケラーに贈った自作のブロンズ製のレリーフです。へレンはこれを触って大変喜び、首の左のところにサインを彫りました。下のほうには、「To Be Blind is To See the Bright Side of Life」と書かれています。訳は「光は失えども人生の輝きを見ることができた」というような意味でしょうか。
ライトハウスの礎となったマザー夫人の名前をいただき、また、「お母さん」を思わせるその語感の良さから、瀬古マザー園の建設準備委員会にて、名古屋ライトハウスの創設者のお一人でもある故片岡好亀会長からお話しがあり、全会一致で決定したとのことです。