アイのかけはし vol.106ai
創立80周年連動企画『施設長リレーインタビュ―』
みなさまのおかげさまをもちまして、社会福祉法人名古屋ライトハウスは2026年10月、創立80周年を迎えます。
法人情報誌である「アイのかけはし」では、これを機に7名の現施設長のお考えや人となりに迫るべくリレーインタビューを敢行し、社会福祉法人名古屋ライトハウスの現在地をみなさんとともに眺めてみたいと思っています。
初回を飾っていただくのは、光和寮施設長 赤澤 裕士さんです。
~赤澤裕士さんプロフィール~
1998年4月、光和寮に入職。生活支援員を担う。(当時の光和寮は重度身体障害者入所授産施設で、入所50名、通所19名だった)
2011年1月、名古屋市港区障害者地域生活支援センター(現在の港区障害者基幹相談支援センター)へ異動。相談支援専門員を担う。
2014年4月、港区障害者基幹相談支援センター開設を機にセンター長就任。
2018年4月、明和寮へ異動。副施設長就任。
2021年4月、熱田・港拠点へ異動。所長就任。
2023年7月、光和寮へ異動。施設長就任。現在に至る。

赤澤さんは、光和寮12代目の施設長として多くの利用者の方々を支援すべく陣頭指揮を執り、施設のさらなる発展を目指し、職員のみなさんと日々奮闘しておられます。本インタビューでは、赤澤さんのリーダーシップ論や施設運営における信念、今後の展望について深く掘り下げていきます。
Q:本日はどうぞよろしくお願いいたします。インタビュアは光和寮片桐が担当致します。早速ですが、まず福祉の世界に入られたきっかけをお聞かせください。
高校三年生の進路を決める時ですね。大学進学は特に考えていませんでした。どうしようかなぁと思っていたところ、母親から、私が祖母のことが好きだったこともあってか高齢者福祉を勧められたのがきっかけです。それから専門学校を探し、社会福祉士の国家資格取得を目指すことにしました。また、一人暮らしをしたいという思いもあったのですが、親からは、兄が住んでいる名古屋であれば良いということで、学校を探し進学しました。
ただ、社会福祉士は名古屋ライトハウスに入職して随分経ってからの取得となりました(笑)。
Q:入職後の20代、30代、40代、それぞれの状況をお聞かせください。
社会人1年目から名古屋ライトハウスなので、20代はこの法人で、上司との付き合い方、敬語、電話応対、手紙の書き方(例:お礼状を上司に添削してもらう)など社会人として基礎的なことをいろいろと教えて貰いました。今も変わりませんが、当時の光和寮も係長、課長、施設長という階層があり、失敗しても助言・指導してもらえる恵まれた環境でした。生活支援業務では、多くのご利用者(入所50名、通所は当時19から25名に増加、計約75名)と関わらせてもらうことにより、就労以外の生活面として、年金(障害基礎年金申請方法など)、健康保険の減免などの社会制度も学ぶことができました。この経験がなければ、その後の地域生活支援センターでの仕事はできなかったと思います。
30代はほぼほぼ地域生活支援センターでの業務ですね。施設の福祉制度とは異なる在宅における地域福祉制度について学びました。自立支援連絡協議会の事務局として、行政機関や地域の歯科医師会の会長、地域の要職者の皆さまとの連携を培い、それとともに地域との繋がりの重要性をとても強く感じました。
40代は、それまでの経験を活かし、周囲との関係構築の重要性を職員に伝えていく立場になり、いまも広めているところです。
Q:お話しを伺っていると、とてもしっかり着実にステップアップされて来られたと思うのですが、赤澤さんご自身が「ステップアップしているなぁ」みたいことを感じることってございましたか?
え(笑)。いやぁ自分ではステップアップしているなぁという実感を持ったことはないです。ただ、異動によって様々なことを知り、福祉の制度や地域との関りについて話せる内容が増えたとは思います。もし30年弱を光和寮だけにいたとしたら、光和寮のことしか話せなかっただろうと思います。異動は多くのことを知る機会になるし、職員をはじめ、多くの方と出会える機会でもあり、それが強みというかいいところではあるのですが、私は職員の名前をときどき忘れてしまうこともあるので気を付けなくてはいけません(笑)
Q:何度かの異動を経て2023年の7月から光和寮の施設長になられたわけですが、内示されるのですか? また内示はどのくらい前にされるものなのですか?
内示はちゃんとありますね。いきなり人事として発表されるということはありません。重要な話はそういう形が多いです。さすがに2週間前ということはないですが、光和寮から支援センターへの異動の時は1ヶ月前くらいだったかなぁ、忘れてしまいましたけど。異動の場合は内示のタイミングは状況によりますね。

Q:例えば、光和寮でいえば就労支援事業だけ見ても、印刷も軽作業もと多岐に渡りますが、施設長はそういった業務のひとつひとつをわかってないと舵取りは難しいのか、ざっくりわかっていれば、あとは管理職のみなさんと協力していけばなんとかなっていくものなのか、いかがでしょうか?
そうですね、就労支援について完全に理解しているとは言えませんが、全くわからないということでももちろんありません。生活支援員の経験から部署間の連携や、ご利用者の工賃を捻出するための利益構造などは学んできたつもりです、諸々の経費をはじめ、施設経営については副施設長になってから学んだと思います。実際のお取引先様との折衝などは現場の課長や係長の活躍が大きいですね。お取引先様に対しては、要所での挨拶や長期的な取引関係の維持に役立てるよう施設長として取り組んでいるところです。
就労事業、その他事業でも現場職員の方、各部署長の方との日頃からの情報交換といったコミュニケーションが大切と考えています。
Q:施設長ってすべてを把握した人とか、そういう方がなるのかなっていうイメージだったので・・・
はい。施設長もそれぞれであり、必ずしも全ての部署を経験した人がなるわけではないと思いますよ。明文化されている要件があるわけではないと思います。
Q:ちょっと答えづらい質問かもしれませんが、一般職員だった頃、上司や施設長に対して不満や反発などを抱いていた時期もおありだったのではないかと思うのですが、現在、ご自身が施設長になられたわけですが・・いかがでしょうか?
難しい質問ですね。自分自身は大きく変わっていないと思います。正直、昔は上司に対して不平不満があった時期もありました。性格的なものかもしれませんが、直接言ってしまうときもありました。
今は皆さんを支える立場に変わりましたが、基本的には自分自身は変わっていません。ですから、職員のみなさんには不満や要望があれば言ってほしいという気持ちであって、むしろ言いやすい雰囲気作りが足りないのかなと思うこともあります。
Q:ありがとうございます。ではそろそろ現在の光和寮についてお聞かせいただきたいと思います。単刀直入に、赤澤施設長から見て、光和寮とはどんな施設なのでしょうか?
ご利用者の声を職員の皆さんが聞く形になりつつあると思います。何か利用者から相談があれば、職員それぞれがまず受け止めて考え、取り組んでいると思います。ただ、最近は食事面を除きご利用者満足度調査や職員面談が十分にできておらず、施設の状況を十分に把握できていないかもしれませんが、ご利用者が継続して通ってくれていることは、職員がご利用者ひとりひとりに寄り添い、楽しく過ごせるよう働きかけている結果だと思っています。
また、施設建て替え後は、以前にも増して地域との関係も良好になっています。地域で開催される行事への参加などを通じて交流を図り、もっとより利用者の事、施設の事を知っていただけるようになっています。また、光和寮は名古屋ライトハウス発祥の地であり、以前から地域の方々に協力していただきやすい関係については、多くの先輩方のご努力の賜物でもあると思っています。例えば、バス停からも御器所駅からも大きな事故なく通えているのは、地域の方々の協力があってこそ。ときには厳しいご意見をいただくこともあるが、地域に受け入れられ、認められている施設であると思います。
Q:職員、ご利用者それぞれに対して、大切にしていらっしゃることなど、お聞かせいただけますか?
まず、利用者のことを「利用者から教えてもらう、学ぶ」ことが大切と思います。職員であれば、アセスメントを通じて、利用者がどんな方なのか、ご家族の想いなどその方の背景も理解しておく必要があります。ただサービスを提供するだけでなく「なぜそう思うのか?」「なぜそうした対応をしたのか?」と自身にも問いかけること、ご利用者のことを深く考え、希望を把握し、できること・できないことを考慮して対応することを職員の方には促しているつもりです。もちろん、ご利用者の変化(体調、声、視線など)に気づくこと、その情報を共有する体制も重要で、職員には細かいことにも気を配れるようになってほしいと考えています。例えば4月1日に行われた光和寮B型事業所の入社式では、新規利用者の方々に「何かやりたいこと、困ったことがあったら必ず言ってください。皆さんの声を聞く職員がたくさんいます。要望があれば個別支援計画に活かすこともできるし、真面目な話でなくてもお手伝いできることも沢山ある」と伝えました。何でもかんでも「できます」「やります」ではないが、できるようにするという視点で動くことが大事と思います。
あと、職員間はもっと関わることが大切と思います。職員同士の関りが深まることで光和寮はもっと良くなると思います。光和寮をはじめ、名古屋ライトハウスで働いて良かったと思ってもらえるようにしたい。私自分が関わることで変わるのであれば、もっと積極的に関わっていきたいと思います。どんな職員がいて、どんな利用者さんとどんな対応をしているのかを知っておきたいですね。これは自身の仕事に対する興味でもあるが、大事なことだと考えています。
Q:現在から未来へ向けて光和寮をこうしたい!をお聞かせください。
光和寮の良いところの一つとして多くの事業を持っていることです。この機能を活かし、地元広路学区の「福祉拠点」となることを目指しています。地域で困ったことがあった時に頼られる存在になりたい。また、就労支援においては、光和寮には多様な作業や支援方法があり、施設で働くだけでなく就職も目指せるという選択肢をもっとPRしていく必要があると思います。
PR不足は正直感じており、これからは情報発信を強化していきたいと思います。施設の機能を必要とされる方々に、施設を「活用していただきたい」という気持ちです。

Q:名古屋ライトハウスは来年80周年を迎えます。ご自身が矢面に立って業務を行っていた当時と現在において、どのような違いを感じますか?
良い意味で、今の施設は「きちんとしている」と感じます。現在の福祉制度に基づき、ルールに基づきアセスメントを行い利用者のことを知るシステムができました。27年前、私が入職した頃は個別支援計画というものも必須ではありませんでした。支援計画の作成や、そのためのアセスメント(利用者の状況把握)が重視されるようになったのはここ20年弱、新制度移行後です。当時に比べると格段に「きちんとしている」と言えます。反面、「きちんとしすぎている」とも少し感じています。私自身性格上「まあいいんじゃない」という大らかさや、昔ながらの「同じ釜の飯を食う」といったような雰囲気が以前に比べて薄れているかもしれません。建物も綺麗になり、環境も変わりました。利用者にとっては静かで広くなり良い面も多いでしょう。当時の良い悪いと今の良い悪いは当然ありますが、一概にこうとは言えません。時代が違い、制度も大きく変わったため、同じ物差しでは測れないと感じていますが、「今もいい」と思えるといいですね。
Q: 似たような質問になりますが、赤澤さんが入職された頃と現在と較べて、施設の雰囲気に違いはありますか?
違いはあると思いますが共通しているのは、職員は利用者目線が変わらないこと、優しい面があること、昔の職員は情熱的な人も多かったのか、職員同士で口論することもあった。今はそういう口論はなく、みんな優しい気持ちで助け合い、意見交換の中から達成しようというところが共通している。以前に比べて働きやすくなったと思います。労務的な面でも、名古屋ライトハウスはしっかりしており、メリハリができて休みもきちんと取れるようになった。職員は福祉マンとしてだけでなく自分の生活も分けて考えられるようになり、働きやすくなったと思います。
Q:最後の質問です。質問者の私は光和寮勤務歴が長く、赤澤さんが3人目の施設長となります。それぞれに全く違う印象で、施設長が代わると施設の色が変わるというか、光和寮の雰囲気がガラッと変わるように感じているのですが、それは意図して変えていらっしゃるのでしょうか?
意図的に変えようとしているわけではありませんが、私の場合で言えば、特徴というか性格的にというか、常に「なぜ?」という点を大事にしており、「なぜそうやらないのか」と問うというところがあります。自分の考えとズレがあった場合、何が抜けているのか、どうすれば改善できるのかを考えてほしいと思っています。基本的には、職員が自分で「こうしたらいいのではないか」と考え、チャレンジし、行動することで部署ごとの課題解決や方向性を見出していくことを期待しています。私の前に施設長でいらしたお二方もそれぞれに特徴というかお考えの傾向のようなものはあると思うので、一緒に働いているみなさんからしたら、変わっているように感じるでしょうし、実際に変わっているのでしょうね。
でも、私達が日々携わる利用者への支援は変わらないと思いますよ。

はい。本日はありがとうございました。